先日「マンガ『日本』書の歴史」という本を購入したことを紹介しましたが、その中に、近代、日本で活躍した芸術書家である「中村不折」の活動や功績について書かれている箇所がありました。中村不折というと、台東区立書道博物館の創始者として知られている人です。かつて画家を目指し、芸術方面に才能を持ちながら、「美しい字」が全てではないと独自の書道を生み、またコレクターとしても書道会に貢献した人。博物館の記事でも彼の事は触れましたが、今回はもう少し人物に焦点を当てて紹介できればいいなと思い、中村不折についてまとめてみました(*^-^*)。※写真は、去年書道博物館でもらったパンフレットの一部です☆博物館には、中村不折記念館が併設されています。

「不折流」書体が個性を貫く! 有名な挿絵や、商品ロゴなどを手掛け、博物館までつくった芸術家

中村不折は、慶応2年(1866)に生まれ、昭和18年(1943)に亡くなるまで、明治、大正、昭和と活躍した洋画家・書家です。江戸の京橋で生まれましたが、4歳で長野へ。子どものころから、絵と書を好み学んでいました。上京し、22歳の時に図面と数学の教師となり、教えた生徒にのちに日本画家となる菱田春草がいたことは有名な話です。そして、水彩画、油彩画の腕を磨き、多くの作品を残しています。明治27年、当時新聞「日本」の記者をしていた正岡子規と出会ったことで、不折も記者となり、「小日本」という新聞の挿絵を描くように夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵も手がけました。画家を志した不折は、その後明治34年から4年間弱、パリに留学し、最終的に太平洋美術学校の校長を務めています。

書道博物館に以前行った時にもらった企画展のパンフレットより。不折が描いた「吾輩ハ猫デアル」の挿し絵☆

書としては、明治41年に「龍眠帖」を刊行。4年後、俳人の河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)らと「龍眠会」を結成しました。この龍眠会、「会は書道研究の為に非ずして下手な字を書き自を称賛する目的とす」「字を上手に書くなどと心懸くる者は退会を命ず」…と、ビックリするような内容!

「マンガ『日本』書の歴史」より。「既存の美によらずしてなにができるか」と考える不折(*’▽’)

「不折流」とも呼ばれるこの字。独特な雰囲気で、決して「上手!」とは言えないのですが、類を見ない記憶に残りやすい書体で、不折が書いた商品のロゴや店名は多く、現在でも、清酒「真澄」「日本盛」のラベルなどたくさんのものがそのまま使われています
◎↓「新宿中村屋」「神州一味噌」のロゴも不折が書いています!確かによく見ると『不折流』!!

「マンガ『日本』書の歴史」より。不折が書いた「李白詩」(右)と、「沈石田句」(左)

不折というと、書道史に関する膨大な量のコレクションを約40年かけて集め、のちにそれが書道博物館となったのですが、その始まりとなったのが、ちょっと時はさかのぼって30歳の時。明治28年、記者として日清戦争に従軍、中国に行ったことがきっかけでした。半年ほどかけて中国や朝鮮半島をめぐり、多くの拓本や資料を目にし日本に持ち帰ります。その後、大量のコレクションを所有できるようになったのは、不折が書いた書の作品や絵画を売り資金にしていたから。実力があってこそ、コレクターとしても名を残せたのです。徐々に耐火構造の収蔵庫を作り保管にも気を遣うようになり、集めるだけでなく博物館として後に公開。昭和11年、正式に「書道博物館」が開館し、不折は初代館長になりました。

書道博物館の中庭にあった看板を撮影しました!収納庫の前に立つ不折。
この収蔵庫は今もあるので、博物館に行ったら見てみてくださいね~

不折の死後、親族によって博物館は運営されていましたが、平成12年に「台東区立書道博物館」となり、「中村不折記念館」も同じ敷地内に開館しました。興味がある方は足を運んでみてくださいね。

書道博物館についてはこの記事で詳しく紹介しています(*^-^*)

今回↓この本に不折について書いてあったので、ご紹介しました☆読みやすい本で、不折について紹介されているものってあまりないので、ぜひ読んでみてほしいです!◎「マンガ『日本』書の歴史

◎高額で買えないけど、こういう本もあるんですね…!不折は、ビックリするほど繊細で緻密な、写真のような絵を描きます

私は臨書をはじめて「上手に書くことが全てではない」と感じることが多くなりました。不折の生き方に触れ、こんな人たちがいたから、書の可能性や芸術の良さが広がっていったんだなぁと思います(*´▽`*)。