私は今日本習字で書道を学んでいます。小学生からずっとお手本となる原田観峰先生の文字を見て、字の練習をしてきました。大学を卒業を機に一度やめましたが、十数年のブランクを経て、今は家で日本習字の通信教育(臨書部)を学んでいます。その日本習字の創設者である原田観峰氏について、今回はご紹介したいなと思っています。(※上の写真は冊子「日本習字の学び方」から拝借しました。)
教育目的が強い書道団体を創設 初めて書道に「段級位」システムを作った
日本にはたくさんの書家がいますし、誰もがしるテレビに出ているような有名な方もいます。観峰先生は、日本習字を学んでいない多くの人にとっては知らないでしょうし、書家としての実力はどうなのか?と疑問視する方がいることも知っています。でも日本習字で学んできた私にとって、お手本となる観峰先生の字は個性を感じつつもとても美しいと思いますし、実際に教えていただいていた教室の先生や、ここで実力を付けた周りの友人は今も実に綺麗な字を書いています。
以前日本習字について紹介した際も書きましたが、観峰先生が創設した日本習字は教育目的が強い書道団体です。観峰先生に書道の才能があったことはもちろんですが、自分の書に力を注ぐことに一生をささげたのではなく、教育者としての人生を過ごしたという点で、他の書家の方とは少し異なります。
原田観峰氏の本名は原田孝太郎。明治44年(1911)生まれ。戦後は福岡県に幼稚園を開園し、当時から子供が好きで教育に強い関心があったことが想像できます。日本習字の前身となる西日本書道通信学会を創設したのは昭和28年(1953)、42歳の頃です。
当時は小さな教室で、生徒作品を一枚一枚丁寧に添削していたそうですが、生徒が増えるにつれて指導員を雇い入れ、志同じく細かい指導で支持を得ていったそう。
大切にしていたのは「正しい文字・美しい文字」。お手本の執筆や講習会、海外の文化交流も盛んに行い、反省の多くを書道教育に尽くしました。画期的な試みとして、周りの書道会から驚かれたのは「通信教育による添削」「段級位認定」でした。特に「段級位」については、当時一部の人からの批判もあったよう。「書家なのに書家らしくない」と”異端児”扱いされたのも、こういった試みに力を入れていたからかもしれません。
確かに「自分の書の世界を自由に広げたい」と考える人にとっては、段級位のようなレベル付けは不要だと思いますし、色々な考え方があることも理解できます。ただ私個人としては、子供のころ段級位があったことで実にやる気になりましたし、現在子育てしながら仕事をする身としては、通信教育があることも非常に助かっているのも事実です。他の書道会でも今や段級位があることは当たり前ですし、一概に批判するものではないと私は思っています。
観峰先生が亡くなったのは平成7年(1995)。同年10月には、滋賀県に博物館「観峰館」が開館しました。現在日本習字に在籍する会員数は約30万人と言われています。
試しにネットで観峰先生について検索してみても、あまり情報はありません。でもそれは書家としてというよりかは、教育者としての要素が強いからなのではないかと思います。私は観峰先生に会ったことは無いですし、もちろん直接指導を受けたこともありません。柔和で優しそうなお顔は冊子などで見て知っていますが、どんな方なのかは正直分かりません。でもこれだけのお手本を残して、日本習字のシステムを作って、亡き後も数えきれないほどのたくさんの人がそれを学んでいることは、やっぱり凄い方だったんだなぁと思うのです(*^▽^*)
◎観峰先生の書や日本習字関連のものはネットに出回っていないので(;・∀・)、私が個人的にセレクトした書道アイテム載せておきますね◎