最近、久しぶりに書道の青春マンガ「とめはねっ!を読み返しました(^^)。主人公のおばあさん(マンガの後半で、書道部で講師をやる結構重要な役柄)が好きな書家が「良寛」で、ちょこちょこ作品が出てきます。万人が「上手」と思う字ではないのですが、味のある良寛の書は、現在でも多くのファンがいるといいます。ここでは、そんな良寛が書いた書について、紹介したいなと思います。
↓↓「とめはねっ!」で、整っていない字の魅力が分からないヒロインの女の子に、おばあさんが良寛の「風」という文字を見せるシーン。「楷書で書いた『風』はただの風だけど、この書は、あなたにこの字の『風』が『そよかぜ』だということを伝えた」と言って、女の子が衝撃を受けるんですよ~☆

「とめはねっ!」4巻141ページより引用しました☆ぜひ読んでほしいー!!

感情を素直に書にしたためた良寛 上手く見せようとしない純粋な想いが読み取れる書体

良寛(りょうかん:1758~1831)は、江戸時代後期に生きた禅僧で、和歌や漢詩をたのしむ歌人・書僧でもありました。
仏教思想の禅は、中国では宋時代から盛んで、蘇軾なども深く学んでいました。禅が日本に渡ってから、芸術などと結びついて禅文化が生まれていきます。高僧が書いた書は「墨蹟(ぼくせき)」と呼ばれ、重宝されるようになりました。※日本では墨蹟は重宝されましたが、禅には「不立文字(ふりゅうもんじ)」という、言葉や文字よりも座禅などの体験によって禅を広げるべき、という考えがあるため、中国では大切にされることは無かったそうです。
良寛は、出家して諸国を回ったのちに、故郷の越後国(現在の新潟県)の国上山にある五合庵(ごごうあん)で草庵生活を送りました。「霞たつながき春日を子供らと手まりつきつつこの日暮らしつ」という有名な和歌が残っている通り、子どもとよく遊び、あたたかい人柄で、多くの人に好かれていた人だったようです。

「マンガ『日本』書の歴史」208ページより引用☆←この本もとてもおススメ

良寛の教えを乞うために、儒学者が山奥にある五合庵まではるばる訪ねに来たとか。良寛はこの8畳ほどの庵で、一人18年もの月日を過ごしました。五合庵は、新潟の観光スポットとして、現在公開されています。

「マンガ『日本』書の歴史」209ページより引用☆味のあるイラストも◎

良寛の書は、他の墨蹟によくみられるような太くてはっきりした線ではなく、細く、とても単純に書かれています。筆脈が読み取りにくくいのですが、空間を広くとってあって、とても明るい印象です。

「マンガ『日本』書の歴史」210ページより引用☆良寛の「六言句」。

こちらは、楷書に近い書体↓ですね。タイトルに「夜冬長」とあり、雪降る冬の夜は長く辛いという内容。扇形に書かれているのが特徴です。

「マンガ『日本』書の歴史」209ページより引用☆

こちらは手紙。「維経尼」にあてた手紙で、江戸に赴き勧進している尼僧を気遣った手紙で、とても繊細にやさしく書かれています。上の文章とは、文の形もかなり違います。

「書のひみつ」86ページより引用☆「維経尼宛書簡 」

良寛は読めない字ばかりを書いていたのではなく、和歌には万葉仮名を使い、自分で作った字母表を参考にしていました。手紙を書く際は、漢字と仮名を使い、読みやすく書いていたそう。また農民から「分かるものを書いてほしい」と言われて書いた「一 二 三」「いろは」という書が残っていますが、これはとても美しく書かれています

「とめはねっ!」4巻144ページより引用☆良寛さんは”やさしい字”を書くんです…!

近年、良寛のことを多くの著名人が愛し尊敬し、良寛が残したものに心を寄せました。夏目漱石や魯山人をはじめ、唐木順三は「最も日本人らしい日本人」と評価し、川端康成が「良寛は日本の真髄を伝えた」といったことは有名です。良寛は僧としては珍しく、生涯にわたって寺を持ちませんでした。貧しい生活の中で、戒めに背いて煙草やお酒を楽しみながら、子どもたちと戯れ、多くの詩歌を詠んだのです。書だけでなく、その生き方にあこがれる人は今でも多いのかもしれませんね。良寛に関しては、新潟県出雲崎町に「良寛記念館」があります。いつか行ってみたいなぁ(^^)。

◎↓「とめはねっ!」書の青春マンガ、超面白いです!「良寛さん」も結構出てきます。←登場人物がみんな「良寛さん」と「さん」付けにしてるんですよねー(*´▽`*)

◎↓良寛だけでなく、他の日本人の書家がたくさん学べて勉強になります

◎↓禅の考え方や、書の考え方がよく分かる(*^▽^*)良寛ももちろん出てきます◎

◎↓この辺は、読んでみたいなぁ~( *´艸`)◎