最近、三跡の一人である小野道風(おののとうふう)の書「屏風土代」を練習しています。下書き(土代)とは思えないほど丁寧で温かみを感じる書体。うねりがある日本独特の書は、書いていて楽しいと感じる人も多いはず(^^)。今回は、小野道風が書いた「屏風土代」について、詳しく紹介したいと思います。
35歳の時の書 土代(下書き)のため構想を練った様子がわかる行草書
平安時代中期、遣唐使が廃止されると国内では「和様(わよう)」の書が誕生します。和様とは、日本ならではの書きぶりのこと。この開祖と言われているのが小野道風(おののとうふう:894~966)です。
道風ではじまった和様は、藤原佐理で発展、藤原行成で完成しました。この3人は、三跡(さんせき)と呼ばれています。(参考:「三跡の一人「藤原行成」の優美なる和様の書 代表作「白氏詩巻(はくししかん)」とは?」でもこの頃の時代について詳しく書いています。)
屏風土代(びょうぶどだい)は、928年、小野道風が35歳の時に書いたものです。「土代」とは下書きのこと。醍醐天皇が宮中で使用する屏風を制作せよという命を下し、作成した作品の下書きが屏風土代です。残念ながら清書本は残っていません。
漢詩は、大江朝綱(おおえのあさつな)が作成。「春日山居」「尋春花」「惜残春」「書斎独居」「山中感懐」「林塘避暑」「山中自述」「送僧帰山」「七夕代牛女」「楼上追涼」「問春」の11首の詩で、それを道風が宮中の屏風に書きました。大江朝綱は43歳、道風は35歳でした。現在、屏風土代は宮内庁が所管する「三の丸尚蔵館」で保管されています。
当時から道風は能書として広く知られ、道風の書は高い人気がありましたが、位は正四位下内蔵権頭と、決して高くはありませんでした。屏風土代は下書きのため、字形を工夫するなど細やかな書き込みが多々あります。より良い作品を作り期待に応えたい、という気持ちが垣間見れます。下書きだからと言って、乱雑さはありません。
書体はたっぷり、ゆったり、空間をしっかりとっており、柔らかさを感じます。それから、うねり。これは中国の書には無い特徴です。書いてみると特に感じるのは、あたたかな印象とともに感じる力強さ。線質にねばり強さがあり、特に太めの線で書かれた文字はしっかりとした重さがあります。行書の中に草書もあります。軽く細い線で書かれた文字は、迷いがないように感じます。
ちなみに、小野道風の祖父は小野篁(おののたかむら:802~852)。漢学者として有名でしたが書も上手であり、その実力は「王義之・王献之と並ぶほど」と言われていたとか。当時、書を学ぶために小野篁の書を手本としていた人も多かったそうです。道風が王義之書法を学んでいると思われる要素が多いのは、祖父の影響もあったのかもしれません。
屏風土代は、臨書を学ぶ人はよく練習される古典ですが、高校の書道の教科書には道風の作品一覧に載っているだけで作品自体の紹介はありませんでした(>_<)。整った字形で学ぶ価値はあると思いますが、臨書を少し深めに学んでいる人しか書く機会はないかもしれません。私も臨書を学んで数年経ち、今回この書は(おそらく)初めて書いていますが、日本らしいとても美しい字です。是非じっくり見て、書いてみてほしいなと思います☆
◎↓時代背景や、小野道風のことがよくわかるお勧めの本です(*´▽`*)読みやすいですよ~♪