最近臨書で孫秋生造像記(そんしゅうせいぞうぞうき)を書いています☆臨書歴がそれほど長くない私ですが、鋭くシャープで力強いこの字は書いていてとても楽しいです(*´▽`*)!北魏時代には魅力的な古典がたくさんありますが、今回はこの孫秋生造像記について詳しくお伝えできればと思っています♪
(↑上の写真は、臨書部の孫秋生造像記のお手本を並べて撮ってみました☆)
世界遺産・龍門石窟にある名品 孫秋生造像記は龍門四品に選ばれている
孫秋生造像記は北魏時代の書。孟廣達(もうこうたつ)の文で、蕭顯慶(しょうけんけい)の書と言われています。内容は孫秋生(そんしゅうせい)たちが太和七年(483年)に仏像を作り、景明三年(502年)に完成したことが記されています。文は二段に分かれていて、上は造像記。下は維那(いな)といって仏寺の僧職の名前が書かれています。
孫秋生造像記のことをもっと詳しく書く前に、孫秋生造像記がある「龍門石窟(りゅうもんせっくつ)」について触れておきましょう(*’▽’)
時代は延興元年(471年)、孝文帝(こうぶんてい)が即位し、中国を統一するべく「漢化政策」を行います。これは漢民族の文化の融合政策で、文化ががらりと変わっていったのです。493年にかつて漢文化の中心となっていた洛陽に遷都。伊水(いすい)の両岸に作られたのが「龍門石窟」です。1キロほどの間に、十万体もの仏像と、三千以上もの造像記が、約400年にわたり作られました。造像記は、それを掘った理由や作者、動機をはじめ、供養分、願いごとなどが記されています。
龍門石窟にはたくさんの注目すべき作品があるのですが、その中でも注目したい素晴らしい4点を「龍門四品」、また同意の20点を「龍門ニ十品」と呼びます。孫秋生造像記はこの「龍門四品」「龍門ニ十品」に選ばれている名品です!いつかそれぞれ詳しくご紹介したいと思いますが、有名なものを少し載せておきますね。
↓右から「魏霊蔵造像記」「孫秋生造像記」「鄭長猷造像記」「賀蘭汗造像記」☆彡
孫秋生造像記の内容 特徴・書き方
孫秋生造像記は龍門石窟の中でも注目すべき作品の一つ。正式名称は「新城縣功曹孫秋生、劉起祖二百人等造像記」。孫秋生は新城県の属官(役人)を務めた人で、劉起祖(りゅうきそ)をはじめとする200人が発願者となり作られました。国家と一族の繁栄、仏教が深く広まることと悟りの境地に導くことへの願い、祖先の供養の想いが込められています。「邑子像(ゆうしぞう)」にある「邑子」とは、造仏の際に共同出資した構成メンバーのことで、権力者だけではなく、庶民まで関与したと言われています。
さて、今度は字に注目してみます(*^▽^*)孫秋生造像記の字は「六朝楷書」を代表する字として知られています。六朝楷書とはこの時代に発達した楷書体の総称で、中国では「北魏楷」とも呼ばれています。
文字は右上がりで横広。鋭く角ばった用筆で書く必要があります。横画の起筆は垂直に近い角度で。縦画は水平に近い角度で、収筆は一度止まった後で鋭く抜きます。↓このお手本を見ると少しわかりやすいかと!要するに角ばった線で、始まりと終わりは特に意識して、丸みより、三角っぽく書きます。
大小の変化は少なめ。条幅でまとめる時にはいかに整然とまとめられるかがポイント!
まだまだ練習途中ですが載せておきます…!書いてみてわかりますが、難しい部分もありますが、他の字体とは違う魅力があるのでとても楽しい。楷書ですが、楷書っぽくない楷書です。
今回孫秋生造像記を調べていて感じたのは、ほぼ同じ時代の北魏の書である牛橛造像記、始平公造像記に隠れがちであること(;・∀・)。とても魅力的な字なのにもったいない!臨書の機会があれば、ぜひ書いてみて欲しいと思います☆
★ちなみに…同じ年代の楷書、鄭道昭「鄭羲下碑(ていぎかひ)」はまた違った魅力があるので、見比べてみるのもお勧めです。
◎↓参考になりそうな本、載せておきますね!孫秋生は龍門二十品の下巻に載っています。法書はお手本、法書ガイドは解説本です(*´▽`*)