臨書をそこまで学んでいない人でも、書道を学んでいる人なら「蘭亭序」は知っているかもしれません☆この『究極の行書』と言われている王義之の最高傑作について、今回は歴史やエピソード、文字の特徴などを詳しく紹介したいと思います。本物が残っていない蘭亭序ですが、どの模写が一番近いと言われているのか(お手本選びの参考に!)、などもまとめています(*‘∀‘)。
最高傑作と言われる「蘭亭序」観賞や臨書で押さえておきたい特徴と魅力
「蘭亭序(らんていじょ)」は、東晋時代に王義之によって書かれた書です。書聖と呼ばれる王義之が書いたこの作品は、最高傑作として後の書家や書人にも大きな影響を及ぼしました。王義之が書いた作品の中で一番有名なのは、行書で書かれた蘭亭序ですが、「楽毅論」「集王聖教序」「喪乱帖」「十七帖」「孔侍中帖」「黄庭経」など、様々な書体で書かれた作品がたくさんあります。王義之は頭がよく政治家としても活躍し、書家としても間違いなくトップに君臨。多芸多才を重んじる中国が王義之を敬うのには、十分な要素がそろっていました。王義之が書いた原本は、蘭亭序に限らず、全ての作品において残っていません。ただ精巧な模本は多く残っているため、それを用いて学ぶことができます。(臨模や拓本については、記事の後半にまとめています☆)
蘭亭序は、流れるような、柔らかな筆づかいが特徴です。蘭亭序の中にはあらゆる書の表現要素が入っています。臨書する際は全体を見つつ、上下左右のバランスを考えて書きます。抑揚をつけながら穂先を利かせた運筆を意識することが大切です。作品全体を見て強弱や緩急をつけるのはもちろんですが、一つの文字の中にも一画一画に変化をつけます。行書らしく、堅苦しくなく、スピード感をもつことがポイント。文字の形や運筆をしっかりイメージして、さらっと書くのが大切です。
↓蘭亭序には「之」という字が20回出てきます。その表情はどれも異なっていて、同じように書かれているものはありません。
整然と書を書くのではなく、自然が様々な変化を見せてくれるように、雲や、虫や、川や山や、星のように、表情豊かに書かれていることが、蘭亭序の魅力でもあるのです。
蘭亭序は曲水の宴で酔っている時に書いた草稿(下書き)だった
蘭亭序を書いたのは、王義之が49歳の時。当時本人が望んでいた「会稽(かいけい)内史」となり、右軍将軍という立場でした。浙江省(せっこうしょう)にある会稽は自然豊かで落ち着いた場所で、知識人たちが集まって哲学的な談話をする清談(せいだん)の地として好まれていました。王義之はこの地を好み、会稽の人々のために尽力をしたというエピソードは数多く残っているほどです。
永和九年(353年)3月3日、王義之は会稽山の蘭亭(蘭渚にあった庭園)に一族や名士を41人招いて宴を行いました。
「流觴(りゅうしょう)曲水の宴」と言われる行事で、「盃が自分の前に流れ着くまでに詩を作って遊ぶ酒宴」と言い伝えられています。※←しかし、室町時代に一条兼良が書いた「公事根源(くじこんげん)※宮中行事をまとめた本」に書かれていることが発祥ともいわれていて、本当に王義之がそのように詠んだのかは微妙らしいです。
宴では27もの詩ができ、王義之はそれに喜んで序文を書き、名作の「蘭亭序」が生まれました。ただ実はこれは下書きとして書いたもの。酔っていたこともあり、のちに清書を試みましたが、この『下書き』以上に上手くは書けなかったと伝えられています。
今に伝わるの「蘭亭序」は、全て臨模か拓本 どれが本物に近いのか?
前述したとおり、王義之が書いた真跡は残っていません。たくさんの模写や刻本が伝わっていますが、どれが一番原跡に近いのかがずっと議論されてきました。
蘭亭序の墨跡(墨筆で書いたもの)で有名なのは、清の第6代皇帝である乾隆帝(けんりゅうてい)が集めた「八柱第一本」「八柱第二本」「八柱第三本」です。
★「八柱第一本」は、「張金界奴本(ちょうきんかいどほん)」とも呼ばれ、初唐の三大家の一人である虞世南が臨模したとされています。不鮮明な部分も多いのですが、これが一番原跡に近いと主張する研究家が多くいます。※「張金界奴本」という名前でもいくつか種類があります。拓本は「余清斎帖」という法帖に入っているもの、「秋碧堂帖」という法帖に入っているものが有名です。
墨本は読めなくなってしまった部分を、後から墨を足して書かれているところもあるようです。
↑ちなみにこれら墨本は「双鉤塡墨(そうこうてんぼく)」で書かれています。うつしたい文字の上に薄い紙を乗せて細い筆で輪郭を描き、その中を墨で埋める方法で、これだと実に細部まで写し取ることができます。
★「八柱第二本」は無名の人が書いたもので、少し細い線なのが特徴です。(かつては褚遂良が書いたと伝えられていました。)
★「八柱第三本」は、今も昔も高校の書道の教科書に載っているので一番有名かもしれません。馮承素(ふうしょうそ)によって書かれたもので、筆脈がはっきりしており分かりやすいことからお手本としてよく使われています。臨模された唐時代の年号である「神龍」の印が、半分残っているため「神龍半印本」とも呼ばれています。ただこの「神龍半印本」に関しては、近代に書かれたという説が濃厚で、真跡からはやや遠ざかっているという意見もあります。でも実に臨書しやすいので、「神龍半印本」を書いて形を覚えてから、「張金界奴本」を書いて真跡に迫る、という人も多いとか。
蘭亭序の拓本で有名なものもいくつかあります。
★「定武本」は、かつては一番真跡に近いと高い評価を受けていた刻本です。(現在は張金界奴本または神龍半印本が一番、という説が多い。)欧陽詢が臨模したと言われますが、確かではありません。
★他にも「開皇本」は定武本よりも力強く重さを感じますし、「潁上本」はほっそりと伸びやかな印象があります。
ひとことに蘭亭序と言っても、真跡が存在しないため、何を手本にするかは自分で決める必要があります。すべて本物(または本物に近いと思われるもの)の蘭亭序がもとになっている臨模か拓本ですが、よーく見てみるとそれぞれ字の形が微妙に違います。王義之に迫るためにできるだけ古いものを手本にしても良いし、自分に合うものを好みで選んでも良いと思います(/ω\)。
蘭亭序は200以上も複製が作られました。本物の蘭亭序は、王義之の書を愛して執着していた唐の二代皇帝の太宗が、自身が亡くなった時に一緒にお墓に入れてしまったというのは有名な話です。
王義之の蘭亭序は、書を学ぶ人にとっては必ず通る道と行っても過言ではありません。私も今年は蘭亭序をしっかり身に付けたいなと思っているので、このサイトでも恥ずかしながら載せていきたいと思っています(*ノωノ)♪
◎蘭亭序の本をいくつか載せておきますね◎ ★追記↓この上から2冊目の「手本蘭亭序」購入しました、臨書するのにとってもおススメです!!